耳装束

耳装束

街道との分岐でトラックを降りてからまる二日、ひくい峠を越えてなだらかに開けた草地に降りたのは午後おそく、日射しが陰りはじめてきた頃合いだった。

その日の作業を終えたものたちは草葺きの屋根の下、おもいおもいにくつろいだようすですごしており、男も女も、幼いこどもから老人に至るまで耳元に、おおくは両耳におおぶりのかざりをつけていて、

貝を耳に当てて海の音を聞くように、頬杖をついてうっとりと微笑んでいる

「あの三叉路から歩いてきたのかい」

ひとり、この国の公用語を -ときどき街に編んだかごや細工物を行商に行くのだそうだ -話す男を介して

どこからきなすった、なにも無いところだからここに他所の人間が来ることはめったにないが、年齢は、家族はいるのかというやり取りがひとしきり繰り広げられた。

なりわいをたずねられ、知らない場所におじゃまして、見聞きしたことをしるす生活です、

職業ではありますが、いちばんは自分のため、こういった記録を -話しながらはしりがきした耳かざりのスケッチをしめして- 時間が経ったあと見返して人生の糧とします。

「反芻 はみなさんのことばでは何といいますか」

「ハンスウ?」

行商人氏は首をかしげたが、納屋の横につながれた大きなツノ牛がくちをもぐもぐと動かしているのを指してもう一度味わうことと言ってみるとおおきくうなずき、身ぶりを交えて皆に説明をした

「さっきからあなたが見つめているこれも、同じはたらきをするんだよ」

夕闇がせまりいろいろなもののすがたが曖昧になっていくなか、どこからとなく人垣からのびた指先がわたしのてのひらに耳かざりをひとつ置いた。

透明な羽のような見た目よりもしっかりと持ち重りがする

彼らの言葉をつなぎあわせると、それはかざりという目的よりも

「瞬間を」

「留めて」

「ふたたびあじわうためのしくみ」とでも表現すべきもので、

財産でも護符でもなく、地位や権力を誇示するためでもなく、ただ道具として作用させるためのもの

かれらは単純に みみに つける もの と呼んだが、

そのなりたちと儀式めいた手順-後述する-の意味合いを込めたく、耳装束と訳した。

翌日から行商人氏の通訳で聞き書きしてまわったことをまとめると

・再生装置 -思い出というよりもより具体的な、音や光、温度さえも- としてたのしむために身につけている

・自らの手で加工するものでなく、望むと現れる -固める、凝固させるという表現を用いるものもいた- もの

・各人がいくつも所有していて、付け替えをする。高床の居間にあがらせてもらうと、どの家も竹で編んだ壁に先祖の代からつたわるものが標本のように留めつけてあって、ほの暗いなかでもぼんやりとひかりを放ちそれはそれはうつくしいようすだった

・重要なことだが、血縁、家族以外では作用しない。試みに借りて耳にかけてみたが何も起きなかった

「これは村の外では役にたたない。貸し借りができないというより、そもそもあの、あなたが歩いて越えてきた峠を過ぎるとみんな消えてしまう」

行商人氏は残念そうに言った。

距離と血のつながりという制約はあるが時間を超えることはできる。

たとえばご先祖の見た光景を子孫が追って体験することも可能なのだという。

「おまえをおぶって一緒にながめた月食だよ」

孫娘のふっくらした手に丸くひかる耳装束を握らせながら、年老いた彼女はいとおしげに語りかけた。

記憶はいつまでだって一緒に生きることができる

だからわたしたちこの村のものは皆ずっと、こころがうごいた瞬間をかたちに留めてきたのだよ、と。

ここの外にはこういったものは無いんだってねとたずねられて、わたしはノートに貼ってあった飼い犬の写真を見せてみた。これも瞬間を記録するものだけど、音やひかりを再生することはできないというと彼等は心底気の毒そうな顔をして、ひたいを寄せ合ってなにやら相談しあったあとで

「明日の朝、日が昇る前にあの大木のところに来るといい。」

とさそってくれた。

翌朝まだ暗いじぶん、導師役のおばあさんとわたし、行商人氏のあとにひそひそばなしをしながらついてくる物見高い村人が数人、一列になって草地の端の大きな木へと向かった。

「よその人間がためしたことはないが、あなたなら」

複雑に曲がりくねった枝のさき、大きな黒褐色のさなぎへ、ためしてみろと促されるまま手をかざしてしまったが

これを耳装束に変えてしまったら中身の蝶々はどうなってしまうのだろうと急に心配になった。

羽化が始まるそのとき、あらかじめ教えられたみじかいことば -内緒にするようにとの約束- をささやきかけると

輪郭が一瞬にじみ、羽根はちりちりと光の束に、空になったさなぎは朝露をまとった透明な玉に、何事もなかったかのように飛び去る蝶々を呆然と見送るわたしのてのひらに

殻をぬぎ捨ててあざやかな羽根に召しかえるそのせつなを具象化したなにかが残された。

耳に当ててみろ

口々にはやされるままに試してみたが、そのときはかすかに羽音が聞こえた気がしたくらい、しかし全身がふるえるような たかまる気持ちと嬉しさとで「とにかく今日ここであったことをずっと忘れない」と興奮してまくしたてるわたしに、彼等はこれはまさにそういう目的のものだからねと満足げにうなずいていた。

入境事務所のオフィサーはリストにあるほぼすべての地名に丸を付けてくれたが、結果として許可された期間いっぱい、三ヶ月のほぼすべてをこの集落の滞在に費やした

川にたゆたう夕日を、透明な水をたたえた泉を、見たことのない色やすがたの虫たちを、花々を、彼等とかたり笑いあった記憶を宿したいくつもの結晶が生まれるまでのいきさつを、わたしは夢中になって書きとめた。

わかれの日、行商人氏が言うとうり、峠をすぎて茅葺の家々が見えなくなると、それらは淡雪のようにとけて消えてしまった。さみしくもおもったが同時にひどく安心もした。あのふしぎで愛らしいならわしは彼等だけのものであってほしかった。

だからここにある耳装束はすべて、記憶とスケッチになるたけ忠実に、わたしがもういちど結びなおしたものたちになる。

国の交わりが断たれあれきり再訪は叶っていないが、半世紀ちかく過ぎたいまも

これらを耳に当てればあの朝の光と笑いさざめく声とを、はっきりと思い出すことができる。

もういちど彼等に会うことができるなら、其方をとおく離れても、たとえ模造であっても、

みなさんの宝物はじゅうぶんに役割を果たしていますよと伝えてみたい。